La La Land(ラ・ラ・ランド)を2回観たのですが、1回目と2回目を観終わった感想は違ったのです。
初回、観終わった後はちょっとショックを受けます。
次に押し寄せて来る思いや感情はミア(エマ・ストーン)に対するものがあり、さらにその次にゆっくり後々に沸いてくる思いは、セブ「セバスチャン」(ライアン・ゴズリング)に対して、
なぜ?どうしてこうしなかったのか?というふうに、時間差をかけて徐々にに押し寄せてきた感情がありました。
ところが、2回目を観た時は、サプライズの時のミアの感情は良く分かり、反対にその時セブはどうしてみたいに再確認できるのですね。
それは一体どういうことなのか?順を追っていきますね。また、La La Land(ラ・ラ・ランド)の評価は?
主演はライアン・ゴズリング、エマ・ストーン、監督はデイミアン・チャゼルの2017年の作品ですが、2年経った2019年でも色あせることなく楽しめる作品です。
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目次
La La Land(ラ・ラ・ランド)とは?
La La Land(ラ・ラ・ランド)は、一つはロサンゼルス(Los Angeles)を指し、頭2文字のLA「エル・エー」もまた、ロサンゼルスを指します。ある映画のシーンの中でも、会話の中でLA「エル・エー」と発音するLAでもあり、ここでのララ・ランドはロサンゼルスのことですね。

(グリフィス天文台から見る風景で、グリフィス天文台と、あの有名なHOLLYWOODの看板が見えます。
ラ・ラ・ランドの映画でも2人のデートスポットのシーンに出ていましたが、ジェームズ・ディーンの代表的作品「理由なき反抗」にも登場するグリフィス天文台天文台がここです。
見渡す夜景がとてもきれいなところです。この天文台をデートの場所に選んだのがミアなのです。2人が映画館で「理由なき反抗」を鑑賞中、アクシテントが・・、それでミアが気をきかせて選んだのがこのグリフィス天文台なのです。
また、もう一つの意味もあります。ラ・ラ・ランドは、夢の国を指しています。
夢の国とロサンゼルスのハリウッドの2つをかけてLa・Laの国、つまり『夢を追い求める国でもあり、さらにロサンゼルスの北にあるハリウッド』の国で、夢を追いかける2人を意図しているかもしれません。この2人については憶測です。
どちらも夢追い人・アメリカンドリーマーです。ハリウッドの地で目的を持っているならそうなりますね。
La La Land(ラ・ラ・ランド)あらすじと率直な感想は?
デイミアン・チャゼルが監督の映画、La La Land(ラ・ラ・ランド)の、冒頭のあらすじと感想は・・
物語は、渋滞しているロサンゼルスのハイウェイで、渋滞から抜けようと停車している多くの車が連なっている中、それぞれの車内では思い思いの曲を聴いているシーンから始まります。(このあと冒頭、その後ネタバレが含まれますので注意を・・)
下記の2つのフリーウェイ105線と110線が交差する出口付近で冒頭のシーンで歌い、踊るオープニングシーンが2日がかりで撮影されたようです。

やがて、突如として一人の女性が車を降りて歌い踊り出すと、それに連れ、多くの車からそれぞれ人々が降り立ち、みんなが踊り、歌い出すシーンは、現実の交通渋滞の世界からミュージカルの世界に早変わりする冒頭のシーンからスタートします。
突如として起きる車外のボンネットや車の屋根で、多くの人が踊りだすシーン、マウンテンバイクで車に乗り上げるシーンも、現実には起こり得ないため、ミュージカルとして観て分かっているわけですが。
反面、一つのドラマ映画として観てもいくので、初回に初めて観ると冒頭から違和感が感じられました。(物語が進行する前に、突如、冒頭で普通はあり得ないシーンに出くわす、一気にミュージカル映画に切り替わるからですね)
なんということ・・みたいに。しかし、2回目に鑑賞する時ではその歌い出すシーンが楽しみで待ち遠しくなるのです。笑
不思議なものです。ミアのジャズ嫌いが好きになるようなもの?
映画全体としては、ミュージカル映画+ドラマ仕立ての映画として、二人の男女それぞれが、思い思いの夢を追う、夢追い人(ドリーマー)が、それぞれの夢を実現させる中で繰り広げるストーリー仕立てで構成されています。
女優志望のミア(エマ・ストーン)は、何度もオーディションを受けながらも落ち、目的を果たせないまま幾度となく夢に向かってチャレンジする一方で(これが冒頭の歌の歌詞にも出ます)
アメリカンドリームを体感したい場所、ロサンゼルスは、夢を叶えたい人々が集まる街、なぜならハリウッドは映画関係者のあこがれの街だからです。女優、男優、監督、映画制作問わずです。
ある映画スタジオのカフェで働くミア(エマ・ストーン)は女優を目指していましたが、オーディションを受けても落ち、ある日の夜の帰り道、ミアは偶然店の前で魅せられた曲に引き込まれるようにして・・・
その偶然耳にするジャズバーから流れるピアノの音色が気になり、店に入ると、そこには運命的な出会いとなる、ピアニストのセブ「セバスチャン」(ライアン・ゴズリング)との、二人の出会いが始まるのです。
セブは、自分の好きなジャズを自由に好きなように演奏できるジャズバーの店を、将来持ちたいと願っていた夢追い人なのです。
ところが、ピアニストのセブは、クリスマスの日にそのジャズバーで店主との契約で自分勝手の曲を弾くことを禁止されていたにもかかわず、途中で自分好みのジャズの曲(この曲が映画のテーマ曲のひとつ)を弾いたことで首を告げられます。
しかもクリスマスの日に。汗
悲しみにひしがれるセブが、店を出ようとする途中で偶然出会ったミアと店内でぶつかります。(以前に出会ったことに気づくことになりますが)
クリスマスの日に首になって職を失い、茫然自失のセブには心の余裕はなく店内から即座に店を後にします。
なんと、クリスマスの日にクビになるとは・・・ミア同様に落ち込みますよね。
こうして、偶然が重なる2人の出会いから始まります。このあとの物語の展開は映画を観たほうがいいので、この先観たあとの感想に移りますが、ネタバレ含むのでここまでご覧頂いて離脱した方がいいでしょうか。
La La Land(ラ・ラ・ランド)を観た感想は?The End前後は人それぞれの人生!?
そして映画のラストシーンでは、スクリーンに最後に現れた、『The End』の字幕、それは人それぞれの映画を観る観客の人生もまた、映画の主人公と同じようにある!?に、尽きるのではないかと思います。
この後は、ネタバレがあります。La La Land(ラ・ラ・ランド)の感想は、ネタバレが無いと先には進まないためですね。映画を観ていない場合は、少しあらすじは入りましたが、ここでネタバラシになるため読む方は、ご注意を。
それでは、先に進みますね。ラ・ラ・ランドの感想ですが・・・
まずは、映画が終わって出る字幕、The Endのシーンで、感じることは、こんな展開になることはアリ?と、まずは感じました。一抹の寂しさですね。
多くの人も同じように感じるかもしれません。流れとしては、これまでずっと長い間、理想として夢を描いてきたシーンが走馬灯のように先戻しで回るシーンがあります。
「こんな理想だった」を脳裏に描きながらピアノを演奏する中で、現実と理想が走る走馬灯のシーンが進行しています。
観ている方も、この理想のシーンであったらどんなにいいだろうかと(違う観た方ももちろんあるでしょうけど)、ひとまずハッピーエンドになって欲しいと願う人も多かったかもしれませんね。自身はまさにその口。
しかし、映画の最後では理想と現実を突き付けらることとなります。
結末はそれとなく流れから分かりつつもありながらショッキングな結末となります。
えっーと、しかし一方ではどうにもならない結末はもう分かっていながらも。
もう一回、先に戻ってやって欲しいみたいに。
ただ、このラ・ラ・ランド、人の観るカタチは、人それぞれの違った想いが重なると思われます。
どういうことか?ですね。
自身の感想としては、ラストシーンは、映画の配役にミアが受かってパリに旅立ち、別れてから5年後に偶然再会することになります。
ミア(エマ・ストーン)も、セブ(ライアン・ゴズリング)も、別れる寸前までは、昼に2人が合って将来について話したグリフィス天文台では、それぞれ「愛している」としていました。
「この先は様子をみていこう」として話し合い、ミアを女優として合格するだろう覚悟も決めてパリに見送ったのです。それぞれの夢を実現させる、ミアの女優の夢実現に全力をあげることを優先させるために。
この5年前のパリに見送る前のお互いの話は、そういう話し合いも一つの方法ではありますが・・・、これが・・・
問題はここからです。この話し合いや旅立ちを見送ることや、5年を経過する物語は、ミアとセブの物語であるのですが、一方で、観客それぞれの物語でもあるのです。
これが、冒頭に言っていました、人ぞれぞれの想いの受け取り方なのです。
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観客それぞれの物語とはどういうこと?
つまり、ラ・ラ・ランドは、グリフィス天文台で話し合った時から5年間、観客のみんなだったらどうする?のように、また、自身だったらどうしている?なのです。
そうした考え方も相手優先でアリです。そう思います。
なぜなら、結婚してしまったミアと独身でいたセブは5年後に、偶然に主人を連れて、行く予定も無かった偶然に夕食をとるために入ったジャズバーで再開(出会う)することになりました。
しかもそのジャズバーこそが、セブの夢見た自分が経営するジャズバーだったのです。地下に降りて行った店の名前は、ミアが過去にセブに店の名前を提案してセブが嫌がった「SEB’s Bar」だったのです。
ミアはその店名の看板を地下に降りて行って、店の入口前で偶然に店の看板の店名を目にします。
あれほど、店の店名にチキンの名前を入れたいと本人が言っていたのに、もしやと・・
そして、ミアが店内に主人といっしょに入って5年ぶりに目にするのは・・
また、同じくセブがミアが店内の座席に居るのに気づいて目が会い、驚きを隠せないままとった行動は?
そして、5年前にプレイバックしてセブの思いと理想にしていたことが走馬灯のように・・
シーンは静かに流れていきます。そして結末に・・
この5年間の中では、それまで2人は、それぞれなんの連絡をとっていないことが想像できます。どうして?・・
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それぞれ「愛している」、様子を見ていこうとした、それぞれの夢が違っても、共通の夢を追う2人なのに。
恋愛の状態をそのまま凍結しておいたまま?・・
普通はその後の連絡は何らかのカタチでする人も多いかもしれませんね。
遠距離恋愛から、2人の想いは遠ざかることもあるでしょう。それでも、その後それぞれは夢を追いつつ忙しいとしても、何らかの情報交換などもあるのではと考えます。
映画の中のストーリーだからそれまでと言っても・・・ここは多少言及したいところですね。笑
夢を追っていくことも大事なこと、しかし同時に同じくらいに2人の想いも大切なのに、なぜ、これまでずっと相手を放っておいたのか?なのです。
現実に生きる?女性ミアと理想を追い続けて忙しさの中で時が流れていったことに気づかずにいたセブ。2人がその後どうなっているのか、どう付き合いしていたのかまでは詮索しないまでも
『セブがセブなら、ミアもミア』が、後から追っかけてきた思いなのです。(ミュージカルではなくドラマとしてとらえると)
『2人とも、どっちもどっち』なのです。特にセブも。そしてミアは今あるのはセブのおかげでもあるのです。
あの時のセブの気遣いが無ければミアの人生は変わっていたはずです。物語的には。
遠距離恋愛もどんなカタチになるかは本人次第にせよ、決着をつける時が遅かったのですね。
また、お互いの様子を見ることを継続して、するべきことをしていなかったために起こり得たのではないかと映画の中の物語とは言え感じます。
映画もドラマもそうであるように、人生というドラマも自分自身が自ら作る、創っていくのが自身の人生のドラマとも思っています。
2回目の鑑賞では、セブのせっかくのサブライズだったのに、セブの思いや言い方から。ミアの怒った感情も良くわかります。
「そんなひどい言い方をして、なぜあなたに恋したのか分からないの?」とセブに言いたくなるのは当たり前ですね。
「なんだと思っているの!バカにしないでまったく!」と言いたくなります。
これは、結婚前や結婚後も言えることなのですね。
言い方一つ、状況によっては人生の一つの節目になってしまうからですね。
相手の思いや感情もとても大切にしないといけないのですね。
La-La Land(ララ・ランド)アカデミー賞受賞部門は?
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La La Land(ラ・ラ・ランド)は、アカデミー賞6部門の受賞と快挙を遂げます。
そのアカデミー賞6部門で受賞した各部門は下記のとおりです。
部門 | 女優・監督・曲名・曲名・作曲家・撮影・美術 | 映画名 |
主演女優賞 | エマ・ストーン | 「ラ・ラ・ランド」が受賞 |
監督賞 | デイミアン・チャゼル | 「ラ・ラ・ランド」が受賞 |
歌曲賞 | City of Stars(シティ オブ スターズ) | 「ラ・ラ・ランド」が受賞 |
作曲賞 | ジャスティン・ハーウィッツ | 「ラ・ラ・ランド」が受賞 |
撮影賞 | リヌス・サンドグレン | 「ラ・ラ・ランド」が受賞 |
美術賞 | デヴィッド・ワスコ、サンディ・レイノルズ・ワスコ | 「ラ・ラ・ランド」が受賞 |
エマ・ストーンのゴールデン・グローブ賞を受賞しますが、ライアン・ゴズリングは、もちろん実際に奥さんがいらっしゃります。ここでなぜかホットします。笑
歌曲賞は意外でした、曲名は映画のシーンにも何度も登場して、とてもお気に入りでいい曲は間違いなのですが、「ズートピア」あたりも、とてもいい曲で受賞の筆頭になるかと予想していました。
が、しかし、2回を観ている中で、違った感覚になる一つに、1回目では物語に集中して感じなかった終始バックに流れる音楽は心地よく感じます。
このあたりはズートピアとは違って、音楽の心地よさと大人の雰囲気と音楽の深みをずっと醸し出し続けています。なるほどと、アカデミー賞のとった映画音楽の良さが感じられるのです。
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La La Land(ラ・ラ・ランド)の評価は?
このララ・ランドを観終わって、しばらくたって1週間、2週間と日を置いていくと、ちょっとした変化を感じることができます。
例えば、イントロとでもいいのですが、音楽の最初の数十秒間でもララ・ランドの音楽の数曲でもタイトルを聴き返すと、なんと、観ることろは極端に感じなかった音楽やメロディが以前と違う感覚の音楽を感じて聴こえてくるのです。
最初に来るのが、「なつかしさ」の感覚です。映画のワンシーンが思い返されてきます。
一曲一曲の映画で奏でられた曲のなつかしさを感じられます。何かいいなー、みたいな。
もう一度、ラ・ラ・ランド観てみたいなーのような。でも結末が分かっているので・・・となり、切なさみたいのも再度、実感するでしょうか?
映画のシーンの中の音楽をまた実感できる、楽しめることやミュージカル映画としても、音楽とシーンが一体となって楽しめるので評価は最初より高くなる、また観たいともなるのではと思われます。(もちろん、人によってはそれぞれお好みがありますね)
ラ・ラ・ランドのメイキングも面白い、実際にピアノを弾いて、ダンスも振り付けだけでなく、基本からダンスを習うなど本格的に、映画のシーンを主人公になりきりを演じています。
それが、この映画を面白くしている、映画を終わった後もこうして楽しめるのですね。
そして、2回目を観ましたが、時間はあっという間に終わり、1回目以上になつかしく音楽もバックで優しく聴けて、物語の楽しさはまた1回目と違った気づきや楽しみ方ができたのがとても良かったですね。
参考までアマゾンにあったブルーレイで観てみたい、楽譜で弾いてみたいはアルバムのピアノ演奏の楽譜
ラ・ラ・ランド スタンダード・エディション [Blu-ray]
音楽だけで楽しみたいは
ラ・ラ・ランド-オリジナル・サウンドトラック
そして、映画が終わり、一般的には、エンドロールの途中で席を立つ人は多いのですが、後日2回目を観た後、エンドロールが完全に終わって照明がついた後に初めて、席を立ちだした人がいたのは初体験でした。
同じく完全に最後の最後まで席を立ちたくなく、もう少し映画と音楽の余韻で座っていたい、ラ・ラ・ランドの世界にいました・・。
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